皆様、あけましておめでとうございます。本年もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。比較的暖かな年末から、寒さの厳しいお正月となりましたが、いかがお過ごしでしたでしょうか。例年より長めの年末年始休業も終わり、本日からお仕事の始まる方も多いかと存じますが、徐々に体を慣らして参りましょう。この一年、皆さんお元気に過ごされ、ご多幸であることを祈念申し上げます。 合掌。
今年は丙午の歳。日本には丙午にまつわる迷信などもございますが、それも江戸時代以降の比較的新しいもの。何の根拠も無いと言っていいでしょう。60年前の丙午の皆さん(私の大学卒業時の大学入学生)は共通一次試験初期の受験戦争の真っただ中において、他学年より母集団が少なくて競争倍率が大幅にダウンした学年。さらには大学卒業時においてはバブル世代となり就職先の選択も恵まれた方が多かった、そんな世代でした。その後の第2次ベビーブームの世代においては、やがてバブルが崩壊し、就職氷河期が訪れるという時代。人々に道徳的教訓を与える迷信もあるかもしれませんが、丙午の迷信は、根拠なく伝播した誹謗中傷に近い迷信であるように感じます。SNSや通信手段のなかった時代、フェイクニュースのごとき迷信が、いったいどのように広がったのか、むしろ興味がわきます。
さて、去る12月31日の午後9時ころから、本寺恒例の除夜の鐘が行われました。当日は午後9時過ぎより、清水西区の町会長さんを先頭に、三々五々とお子様連れのご家族の方々が来寺くださいました。毎年欠かさず来寺くださる顔なじみの方もいらっしゃるようになりました。お一人一回から二回、鐘を撞いた後静かに合掌する。「南無阿弥陀仏」とお称えする。そんな中で、新しい年に向けてのエネルギーが湧いてきているようにお見受けいたしました。遠くは三郷から、60人ほどの方にご来寺いただきましたが、来年はもっと多くの方に鐘を撞いていただけるよう、考えてまいりたいと存じます。なお、108つの煩悩を払うために除夜の鐘を撞くのだと言われますが、その煩悩を打ち払うことができないのが人間である、というのがわが浄土真宗の考え方。だからこそ、阿弥陀仏の本願におすがりをします。鐘を撞いて合掌し、称名念仏すること、そこに本寺では除夜の鐘の意味を見出しています。

遊びに行く途中、鐘の音を聞きつけて、立ち寄ってくれました。
楽しそうで何よりです。ありがとう。
